科学・基礎/半導体物理学

20.結晶系を近似する

 結晶の電子状態についてのシュレディンガー方程式は対象とする粒子の数が膨大で、まともに取り組んでもとても解けないことを前項で説明しました。それではどのように考えたらよいでしょうか。

 原子核と電子を比べると、質量は約 2000 倍も原子核の方が大きいので、重い原子核は止まっていてその周りを軽い電子が動き回っているというイメージが浮かびます。この場合、原子核の運動量は無視できることになり、電子の運動だけを考えればよいことになり、それであれば前項のハミルトニアン \(\mathcal{H}\) は大分簡単になります。しかしポテンシャルエネルギーには原子核の配置が影響します。そのため結晶内の原子核の配置(座標)ははじめに決めておく必要があります。

 これはボルン(M.Born)とオッペンハイマー(R.Oppenheimer)によって提案された考え方で、ボルン-オッペンハイマー近似と呼ばれますが、断熱近似と呼ばれることもあります。熱力学で例えば断熱膨張という場合は、熱の出入りがない状態で起こる膨張を意味しますが、熱と直接関係のないこの場合の呼び方としては変な感じがするかも知れません。

 ただ実際に断熱という条件で実験などをする場合は、本当に熱が遮断されているというよりも、熱が伝わってくるより十分速く起こる現象に注目することを意味します。ここでの「断熱」は"adiabatic"という英語の訳ですが、この語が意味するのは熱に限らずゆっくりした変化に比べて十分速い変化に着目するという広い意味をもっていると考えられます。ここでは原子核が電子に比べてゆっくりと動き、ほとんど止まっているとみなせるということが「断熱」です。

 さてこの断熱近似ですが、これでも実際の計算は依然としてほとんど不可能です。膨大な数の電子についてはすべて計算しなければならないからです。そこでさらに近似することが考えられました。それは注目するのを1個の電子だけにするものです。他の電子をどうやって計算に入れるのかというと、これは平均的にポテンシャルエネルギー \(V\) に反映されると考えます。つまり1個の注目する電子以外は他の電子、原子核を含め全部、ポテンシャルエネルギーとして効いてくると考えます。

 こう考えれば、シュレディンガー方程式は1個の電子に対するものと同じになってしまいます。    \[-\frac{\hbar^{2}}{2m}\Delta _{\textbf{r}}\varphi _{i}\left ( \mathbf{r} \right ) + V\left ( \mathbf{r}\right )\varphi _{i}\left ( \mathbf{r} \right )= \varepsilon _{i}\varphi_{i} \left ( \mathbf{r}\right )\] ここで、    \[\Delta _{\mathbf{r}}= \frac{\partial^2 }{\partial x^2} + \frac{\partial^2 }{\partial y^2} + \frac{\partial^2 }{\partial z^2}\] という記号を使いました。これはx,y,z座標の場合ですが、他の座標系でも記号 \(\Delta\) は同様に使います。\(r\) は位置を示すベクトルです。また \(i\) は電子の状態を指定する整数で量子数と呼んでいます。

 考える \(N\) 個の電子は波動関数 \(\varphi _{i}\left ( \mathbf{r} \right )\) のうちいずれかの状態をとることになります。であればこの波動関数によって、全電子系の状態を指定できます。とするとこの電子と原子核がつくるポテンシャルエネルギーが計算でき、それが \(V\) に一致しなければなりません。この関係が矛盾しないようにシュレディンガー方程式の解を定めることになります。こういう考え方を一電子近似と言います。

 以上はごく簡単に考え方だけを紹介し、式は省略しました。というのは基本的にはこれらの考え方に沿っているものの、もっとずっと粗い近似(大雑把な考え)で計算しても実際的な目的には十分使えることがわかっているからです。

 例えば結晶としての性質に関係するのは各原子の一番外側にある電子(外殻電子)だけで、多数の電子をもつ原子を扱う場合も内側の電子(内殻電子)は考慮する必要がありません。こう考えると電子に由来するポテンシャルエネルギーの計算も楽になります。

 以後、簡単なモデルによって計算される波動関数の例を示していきます。