科学・基礎/半導体物理学
32.孤立した原子からの近似前項まで紹介してきたのはほとんど自由な電子のモデルでした。元はと言えば、膨大な数の原子を含む固体結晶についてシュレーディンガー方程式を解くことは到底難しく、何らかの近似が必要とされたためです。
結晶中でほとんど自由に動けるものの周期的に並んだ原子によるポテンシャルエネルギーの影響は受けると考えるのが、ほとんど自由な電子のモデルですが、ほとんど自由に動ける電子をもっているのは金属のような電流をよく流す物質です。
電流をほとんど流さない絶縁体を自由電子に近いモデルで説明しようとするには無理があります。そこで考えられたのがほとんど自由な電子とは対極にあるほとんど動けない電子のモデルです。ほとんど動けないというのは原子に捉えられているということで、完全に電子が捉えられている孤立した原子から出発した考え方です。
まず孤立した原子に捉えられた電子について復習しておきます。もっとも簡単な水素原子は図32-1のように原子核の周りを1個の電子が円運動するモデルで考えられます。古典力学では遠心力と正負の電荷が引き合うクーロン力が釣り合うと考え、次式から出発します。 \[\frac{mv^{2}}{r}= \frac{e^{2}}{4\pi \varepsilon _{0}r^{2}}\tag{1}\] ここで \(v\) は電子の速度、\(r\) は軌道の半径、\(\varepsilon _{0}\) は真空の誘電率です。
一方、量子力学の仮定では角運動量は \(\hbar\) の整数倍しかとれないので、 \[mvr= n\hbar\tag{2}\] です。ここで \(n=1\), 2, 3, ・・・で、この数を量子数と呼びます。(2)式を(1)式に代入すると \[r= \frac{4\pi \varepsilon _{0}n^{2}\hbar^{2}}{m\mathrm{e}^{2}}\tag{3}\] が得られます。この \(r\) はボーア半径と呼ばれています。
電子のエネルギーは運動エネルギーとポテンシャルエネルギーの和で、 \[\begin{align}E &= \frac{mv^{2}}{2}-\frac{e^{2}}{4\pi \varepsilon _{0}r} \\ &= -\frac{me^{4}}{32\pi ^{2}\varepsilon _{0}^{2}n^{2}\hbar^{2}}\tag{4}\end{align}\] となり、とびとびのエネルギーとなることがわかります。
この式では \(n\) 以外は値が分かっている定数ですから、\(n=\)1, 2, 3 を入れて計算すると、エネルギーの値が計算できます。数値をあげると \(n=1\) のとき -13.6 eV、\(n=2\) のとき -3.4 eV、\(n=3\) のとき -1.5 eV となります。
3次元で考えた実際の原子では量子数は \(n\) の一種ではなく、他の3種類あり、全部で4種類あることが知られています。上記 \(n\) を主量子数といい、他に方位量子数、磁気量子数、スピン量子数があります。以下で直接必要なのは主量子数 \(n\) と方位量子数 \(l\) (エル)です。 \(n\) は1, 2, 3, ・・・の自然数ですが、\(l\) は \(n\) から 1 を引いた数、0, 1, ・・・ \(n-1\) です。方位量子数には記号がついていて、\(l=\)0 が s、1 が p、2 が d、3 が f と呼んでいます。\(n=\)1~3 の各軌道に入れる最大電子数は下表の通りです。
n l 記号 最大電子数 1 0 1s 2 2 0 2s 2 2 1 2p 6 3 0 3s 2 3 1 3p 6 3 2 3d 10 具体例としてナトリウム(Na) 原子を考えます。Na は原子番号が 11 ですから、電子 11 個をもっています。電子は原則として主量子数の少ない方から、つぎに方位量子数が少ない方から詰まっていきますから、1s、2 個、2s、2 個、2p、6 個の計 10 個が軌道に詰まります。残りは 1 個で、これは 3s に入ります。このような電子配置を \[\left ( 1\mathrm{s} \right )^{2}\left ( 2\mathrm{s} \right )^{2}\left ( 2\mathrm{p} \right )^{6}\left ( 3\mathrm{s} \right )^{1}\] という書き方をすることがあります。
なお、ここでは詳細は触れませんが、2s と 2p の電子のエネルギーは異なります。主量子数が同じなら方位量子数が大きいほどエネルギーは大きくなります。この様子を図32-2に示しました。
以上は孤立した原子の話ですが、結晶のように原子が接近するとどのようなことが起こるでしょうか。図32-3は孤立した原子付近の電子に対するポテンシャルエネルギー \(U\left ( x\right )\) (青線)と2つの原子が接近した場合のポテンシャルエネルギー \(V\left ( x\right )\) (赤線)のポテンシャルエネルギーを示しています。図のように接近した原子と原子の間ではエネルギーの障壁が下がることが予想されます。そうなるとエネルギーの高い電子は隣の原子へ移ることができるようになると考えられます。
このような考え方で電子は原子に強く引きつけられているものの、原子間で移動ができるようになるような状態を取り扱うのが、孤立した原子からの近似です。これは強く束縛された電子のモデルとも言われます。「強く束縛された」というのは英語の"tight binding"の訳です。
一方で結晶中の電子でも原子核の近くにいる場合には孤立した原子の電子とほとんど同じような状態にあると考えてもよいでしょう。ただ結晶中では複数の原子核の影響を受ける電子もあるはずで、このような電子が結晶中を動くことが考えられます。
孤立した原子の一電子に対する1次元シュレディンガー方程式は \[-\frac{\hbar^{2}}{2m}\frac{\mathrm{d} ^{2}\phi \left ( x \right )}{\mathrm{d} x^{2}}+U\left ( x \right )\phi \left ( x \right )= \varepsilon _{0}\phi \left ( x \right )\] となります。\(U\left ( x\right )\) は電子のポテンシャルエネルギー、\(\phi \left ( x \right )\) は波動関数、\(\varepsilon _{0}\) は固有エネルギーです。
この原子が間隔 \(a\) で周期的に並んでいる場合には、ポテンシャルエネルギー \(V\left ( x\right)\) は図32-3のように周期的になり、 \[V\left ( x \right )= \sum_{n}U\left ( x-na \right )\] と表せます。ここで\(n\) は整数で、\(na\) が格子点の位置を表します。このような格子内の電子に対するシュレディンガー方程式は \[-\frac{\hbar^{2}}{2m}\frac{\mathrm{d^{2}} \varphi }{\mathrm{d} x^{2}}+V\left ( x \right )\varphi \left ( x \right )= \varepsilon \varphi \left ( x \right )\] となります。
接近した個々の原子の近くの電子はほとんど孤立した原子の近くの電子と同様なポテンシャルエネルギーの作用を受ける状態にあると考えられますから、\(n\) 番目の原子の波動関数を \(\varphi \left ( x-na\right )\) とすれば、結晶全体の波動関数 \(\varphi \left ( x\right )\) は \(\varphi \left ( x-na\right )\) の1次結合(係数 \(C_{n}\) を付けた単純な足し合わせ) \[\varphi \left ( x \right )= \sum_{n}C_{n}\phi \left ( x-na \right )\] で表してよいと考えられます。
このような波動関数は周期関数のはずですからブロッホの定理を満たさなければなりません。 \[\varphi _{k}\left ( x+na \right )= \mathrm{e}^{ikna}\varphi _{k}\left ( x \right )\] このためには係数 \(C_{n}\) が \[C_{n}= A\mathrm{e}^{ikna}\] であればよいことがわかります。ここで \(A\) は規格化のための係数です。すなわち \[\varphi _{k}\left ( x \right )= A\sum_{n}\mathrm{e}^{ikna}\phi \left ( x-na \right )\]
ここで量子力学の定義に従って、\(\varphi _{k}\) に対するエネルギーの平均値(期待値)は \[\varepsilon \left ( k \right )= \frac{\int \varphi _{k}^{*}\left ( x \right )\left \lbrace -\frac{\hbar^{2}}{2m} \frac{\mathrm{d^{2}} }{\mathrm{d} x^{2}}+V\left ( x \right )\right \rbrace \varphi _{k}\left ( x \right )dx}{\int \varphi _{k}^{*}\left ( x \right )\varphi \left ( x \right )dx}\tag{5}\] と書けます。このエネルギーがどうなるかを計算します。まず上式をつぎのように置き換えます。 \[\varepsilon \left ( k \right )= \frac{\sum_{n,{n}'}\mathrm{e}^{ik\left ( {n}'-n \right )a}H_{n,{n}'}}{\sum_{n,{n}'}\mathrm{e}^{ik\left ( {n}'-n \right )a}S_{n,{n}'}}\tag{6}\] ここで \[\begin{align} H_{n,{n}'} &= \int \phi \left ( x-na \right )\left \{ -\frac{\hbar^{2}}{2m} \frac{\mathrm{d^{2}} }{\mathrm{d} x^{2}}+V\left ( x \right )\right \}\phi \left ( x-{n}' a\right )dx\tag{7 } \\ S_{n,{n}'} &= \int \phi \left ( x-na \right )\phi \left ( x-{n}' a\right )dx\tag{8}\end{align}\] です。 まず(7)、(8)式より \[\begin{align} H_{n,{n}'} &= H_{{n}',n} \\ S_{n,{n}'} &= S_{{n}',n}\end{align}\] です。また \[S_{n,{n}'}= \int \phi \left ( x \right )\phi \left ( x+na-{n}'a \right )dx= S_{0,n-{n}'}\] が成り立ちます。さらに \[H_{n,{n}'}= \varepsilon _{0}S_{n,{n}'}+J_{n,{n}'}\] と置きます。ここで\(J_{n,{n}'}\)は \[J_{n,{n}'}= \int \phi \left ( x-na \right )\left \{ V\left ( x \right )-U\left ( x-{n}'a \right ) \right \} \phi \left ( x-{n}'a \right )dx\] です。これは \[\begin{align} J_{n,{n}'} &= \int \phi \left ( x+{n}'a-na \right )\left \{ V\left ( x+{n}'a \right )-U\left ( x\right ) \right \} \phi \left ( x\right )dx \\ &= \int \phi \left ( x+{n}'a-na \right )\left \{ V\left ( x \right )-U\left ( x\right ) \right \} \phi \left ( x\right )dx \\ &= J_{{n}'-n,0}\end{align}\] となります。以上より \[\begin{align} S_{0,n-{n}'} &= S_{0,{n}'-n} \\ J_{0,{n}'-n} &= J_{0,n-{n}'}\end{align} \] であることがわかります。これより\(S_{{n}',n}\)、\(J_{{n}',n}\)、\(H{{n}',n}\)はいずれも\(n-{n}'\)だけに依存します。そこで \[\begin{align}S_{n,{n}'} &= S\left ( n-{n}' \right ) \\ J_{n,{n}'} &= J\left ( n-{n}' \right ) \\ H_{n,{n}'} &= H\left ( n-{n}' \right )\end{align}\] と書きます。
\(S_{n-{n}'}\) は \(n={n}'\) のとき 1 となります。一方、\(n\neq {n}'\) のときは \(n-{n}'\) が大きくなるほど小さくなりますから、\(n\neq {n}'\) のときは近似的にすべて 0 とします。 \[\begin{alignat}{2} &S\left ( 0 \right ) = 1 &n=m \\ &S\left ( n-{n}' \right ) = 0~~~~~~~~~ &n\neq{n}'\end{alignat}\]
また、\(J\left ( n-{n}'\right )\) も \(S\left ( n-{n}'\right )\) 同様に \(n-{n}'\) が大きくなると小さくなります。\(J\left ( 0\right )\) と \(J\left ( 1\right )\) は同程度の大きさなのでこれだけ残し、他は小さいとして無視します。
以上より \[\varepsilon \left ( k \right )= \varepsilon _{0}+J\left ( 0 \right ) +2J\left ( 1 \right )\cos {ka}\tag{9}\] が得られ、エネルギーが \(k\) の関数として表されます。
\(k\) の取り得る値は、巡回境界条件を適用すると \[-\frac{\pi }{a}\leq k\leq \frac{\pi }{a}\] の範囲です。(9)式から、\(\varepsilon\) と \(k\) の関係は図32-4のようになります。
結晶の長さを \(L\) とすると、\(k\) は \[0,~\pm \frac{2\pi }{L},~\pm 2\cdot \frac{2\pi }{L},~\cdots ~\pm \frac{L}{2a}\cdot \frac{2\pi }{L}\] の \(L/a\left ( =N\right)\) 個の値をとることができます。
このことから孤立した原子の電子のエネルギー \(\varepsilon_{0}\) は結晶内では原子の数 \(N\) だけのエネルギー準位に分かれ、(9)式から図32-5に示すように \(4J\left ( 1\right )\) のエネルギー幅に広がることが分かります。\(N\) は通常、非常に大きいので準位間のエネルギー差は小さく、ほとんど連続したバンドを形成することがわかります。
以上は3次元に拡張ができますから、具体的な物質についてもう少し考えを進めることができます。後半の数式展開と近似のしかたは分かりにくいかと思いますが、要は孤立した原子では一つだった電子のエネルギーが、原子が互いに接近して電子のやりとりが起こるようになると電子の取り得るエネルギーが連続したバンド状になるということが示されたということです。