科学・基礎/量子化学

9.一重項、三重項

 有機分子の発光は、LUMOにいる励起された電子がHOMOに落ち、エネルギーを放出することによって起こるということはこれまで説明した通りです。ところが、分子におけるHOMOとLUMOの構造はもう少し複雑です。

 これまでにも述べたように、同一の分子軌道にはスピン量子数の異なる2個の電子が入ることができます。この入り方にはスピン量子数 \(s\) が -1/2 と +1/2 の組み合わせと +1/2 と +1/2 の組み合わせの2通りがあります。

 いま多重度 \(M\) を次のように定義します。\(\Sigma \) は系にある電子のスピン量子数 \(s\) をすべて足し合わせるという意味です。 \[M=1+2\sum s \]

 \(s\) が -1/2 と +1/2 の組み合わせの場合は \(M=1\) となります。また \(s\) が +1/2 と +1/2 の場合は \(M=3\) となります。\(M=1\) の場合を一重項、\(M=3\) の場合を三重項と呼びます。ここで重要な性質は電子が軌道間を遷移する場合に多重度が変化することは許されないということです。例をあげると、HOMOに \(s=-1/2 \) と+1/2の電子がいる場合、このうち1個の電子を励起してLUMOに入れる場合、HOMOとLUMOの電子が -1/2 と +1/2 の組み合わせのままなら許されますが、両方とも +1/2 になることは許されません。言い換えると多重度が変化しない遷移は許され、このような遷移を許容遷移といい、多重度が変化する遷移は許されず、これを禁制遷移といいます。

 つまり図9-1に示すように一重項の基底状態 \(S_0 \) がエネルギーを吸収して励起状態になるとき、一重項のままでいる状態 \(S_1 \) は許されますが、三重項の状態 \(T_1 \) に変化することは許されません。またこの励起状態がエネルギーを放出して基底状態に戻るときも励起状態が一重項なら一重項を保つことが許されますが、三重項に変わることは許されません。

 一般に基底状態はより安定な一重項状態ですから、これが励起されても保たれるのであれば、三重項状態になることはあり得ないことになってしまいます。しかし実際には必ずしもそうではなく、禁制遷移も確率は低いものの起こる場合があります。たとえば一重項励起状態の電子が励起状態のまま三重項状態に変化する場合があります。これを系間移動と言います。

 発光の過程も図9-2に示すように一重項励起状態から一重項基底状態に遷移する場合と一重項励起状態から系間移動で三重項励起状態に移り、そこから一重項基底状態に遷移する場合とがあります。最初の場合に起こる発光が蛍光と呼ばれ、後の場合に起こる発光を燐光と呼んでいます。

 許容繊維は起こりやすいので、蛍光は早くおおよそミリ秒より短い時間で起きます。一方燐光は禁制遷移のため、より遅くミリ秒より長い時間で起きる点が違います。

 蛍光と言えば、LEDに使われている無機蛍光体について触れたことがありますが、原子軌道にある電子の遷移によって生じることは共通です。

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