産業/特許

9.審判の経過を調べる<法律>

 前項で特許2540791号の特許査定がなされるまでの審査過程を説明しました。普通ならこれで終わりなのですが、前項で参照した「経過記録」の「特許査定」の後に膨大な文書のやりとりが記録されています。とくに「審判記録」が1~3まであります。これは何なのかをここでは説明したいと思います。

 本題に入る前に前項で説明した公告制度について少し触れておきます。この制度は現在はありませんが、かつては審査が終わって特許庁としては特許査定をしてよいと判断した際に、公告公報を発行してそのことを世間に知らせました。これは世間一般に異議がないか意見を求めるのが目的です。

 もしこれは特許にならないと証明できる何かの根拠でもあれば、だれでも異議を申し立てることができました。最近は法案や政策に対して意見を求めるパブリックコメントというのがありますが、異議申立にはその理由(証拠)が必要です。先行する文献を添付するなどして異議の根拠を示します。この異議申立制度は公告制度がなくなった後もしばらく存続し、一旦廃止されましたが2014年に復活しています。

 この特許は特許査定後、「ファイル記録事項の閲覧(縦覧)請求書」という書面が何度も繰り返し提出されています。これは拒絶理由など審査に関わる記録の閲覧を特許庁に求めるものです。すべてが別人によるものとは限らず、同じ人が繰り返し請求しているかもしれませんが、この特許の審査過程を詳細に知りたい人(企業)が多かったことを示しています。

 そして経過記録の下の方に眼を転じると、審判記録1という欄があり、異議申立書が9件も記録されています。内容は閲覧請求をしないと見ることができません。これは上記のように公告制度がなくなった後も存続した異議申立制度に基づく申立てです。特許公報発行から6ヶ月以内に申立てをしなければならない決まりで、この特許の特許公報は1996年10月9日発行なので、1997年4月9日が期限です。記録の日付は9件のうち3件だけが期限内ですが、この日付は特許庁に申立書が届いた日ではないのかもしれません。

 申立てがあるとこれは審査官ではなく審判官という立場の人が対応します。ここで審判というのは何種類かあって審査官の査定がなされた後に、なお、不服がある場合に、特許庁内で裁判の上級審のような位置づけで判断を下す制度です。

 1997年7月25日に取消理由通知書が2件出されています。これは異議申立がもっともなので特許を取り消すというちょうど審査のときの拒絶理由通知のようなものです。これに対して特許権者は1997年9月26日に意見書と訂正請求書を提出しています。特許になった後の修正は補正と言わず「訂正」と言い、訂正請求書を出して認めてもらう必要があります。この内容はここでは見られませんので中身はわかりませんが、翌1998年3月6日に「異議の決定」が出され、5月21日に確定登録通知が出されていることから、異議は退けられ、特許は維持されたことが分かります。

 これで終わらずさらに審判が請求されました。審判記録2の2008年に請求された審判はなぜかすぐに取り下げられています。つぎに審判記録3は2011年10月19日に請求されています。この特許は1991年12月24日出願なので2011年の同日には権利満了になります。存続期間をわずか約2ヶ月残して審判を請求する意味があるのでしょうか。

 この審判は第三者が特許権者に対して特許が無効であるとして審判を請求するもので、無効審判と言われます。無効審判の場合は特許権が消滅した後でも請求ができます。これは特許の有効期間中の実施料などを支払ってきた人はもし特許が無効だったとわかれば、遡って支払った金額の返還が求められるからです。

 さてこの2回目の無効審判は裁判でいう判決に当たる審決が出されていて、これは全文を読むことができます。審判を請求したのはエバーライト・エレクトロニクスという台湾籍の会社です。

 審決の最初に対象となる請求項が記されていますが、これが上記の異議申立で訂正が行われた請求項になっていて、前の訂正請求書は開けない代わりにここで知ることができます。変更されているのは請求項1だけでそれを記すと以下の通りです。

<訂正後> 【請求項1】 気相成長法により、p型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体を成長させた後、実質的に水素を含まない雰囲気中、400°C以上の温度でアニーリングを行い、上記p型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体層から水素を出すことを特徴とするp型窒化ガリウム系化合物半導体の製造方法。

 「実質的に水素を含まない雰囲気中」というアニール雰囲気が限定され、半導体層「から水素を出す」という、アニールの効果を追記する訂正です。異議申立でもアニールという方法が特別なものでなく容易に用いることができるとされたため、水素を追い出すためのアニールだという特別な効果を請求項に織り込んだものと思われます。

 この請求項に対し、請求人は多数の証拠となる文献を挙げ、4つの無効理由によってこの特許の無効を主張しています。この4つの無効理由のうち3つは容易に発明できるものという審査の時と同じような理由になっています。要はまったく同一の先行技術はここでも見つからなかったということです。となるとアニール温度範囲を裏付けるデータが明示されている以上、一般にアニールを行っている先行技術があったとしても、そこから容易に発明に至ることはできないということになり、審判ではこれらの主張は採用できないと結論付けています。

 4つ目の理由は記載不備を理由にしています。請求項1の「水素を出す」という効果は明細書では「推察される」となっていて、これについては実証する実験等が行われたとは記されていません。そのため請求人は「推察」という不明確な記載では当業者が容易に実施できない等々を主張しています。これに対して審判では前掲の図1(図7-1)のような明確なアニールの作用が示されており、推察が不合理とは言えないなどとして請求人の主張を採用しない結論を出しています。

 極く大雑把に書きましたが、この特許は無効審判で無効にならず、維持されました。登録情報をみると、この特許は出願から20年の存続期間を満了しています。

 なお、図9-1は特許登録後、第3者がこれに異議を唱える手続きの流れを、参考までに概略図示したものです。