産業/特許

8.出願から特許登録まで<法律>

 特許2540791号が出願されてからどのような経過を経て特許になったかを調べてみましょう。そんなことを調べてどんな意味があるかというと、つぎのようなことが言えます。前項でも書きましたように特許の審査というのは、その特許が出願されるより前に同じような発明がすでになされていて世間に知れ渡っていたかを判定するのが主な目的になります(世間といってもその技術分野をある程度知っている人達(当業者)の間でという意味ですが)。それを巡って特許庁と出願人がやりとりをするのが審査の経過ですから、それを調べると、その発明を取り巻く出願当時の技術の状況が見えてくるのです。

 さて審査の経過を調べるにはどうしたらよいでしょうか。これも「特許情報プラットフォーム」で簡単に調べることができます。以下の手順も2020年現在のもので変更される場合もあるのでご注意ください。

 2項で説明した手順にしたがって特許2540791号を照会(出願、公開など各番号からの照会でも同じ)すると、出願、公開、特許の各番号が表形式で表示されます。その右端をみると「経過情報」というボタンがあるはずですので、それをクリックします。

 「経過情報照会」のページが開き、上部に照会対象の出願番号、公開番号が表示されます。その下に左から[経過記録][出願情報][登録情報][審判情報]「分割出願情報」という5つのボタンが表示されます。この特許の場合は5種類が表示されていますが、すべてが表示されるとは限りません。最低限左2つ(「経過記録」と「出願情報」)はすべての案件で表示されるはずです。

 このページを開くと「経過記録」の内容が表示されているはずです。この中は「審査記録」、「登録記録」、「審判記録」のように分類され、そのなかに審査に関連して出願人側と特許庁側から発行された文書名と発行日が時系列で記録されています。そのほとんどは文書名だけで内容までは見られませんが、いくつか内容が見られる文書があり、文書名をクリックすると内容が開きます。

 主な文書を辿りながら審査経過を見てみましょう。図8-1には参考までにこの流れを示しました。

 「経過記録」の一番上にあるのは特許出願時に提出された願書である「特許願」とその内容である「明細書」、「要約書」、「図面」で日付は1991年12月26日となっています。なお、現在は「特許請求の範囲」が明細書から分離した独立の文書になっていますが、この時代は明細書に含まれる形になっています。もっとも公報としてはこれらの文書は一体として印刷されます。

 特許願のすぐ下に「手続補正書」があります。出願から約7ヶ月後に提出されています。出願後から審査が終わるまで一時期を除いて、出願人は各書面を修正することができます。これを「補正」と言い、手続補正書という書面を提出して行います。ここでの補正は特許願の出願人の情報を追加するもののようですが、このような補正は方式補正と呼ばれ、発明の内容に関わるもの(実体補正)ではありません。実体補正については後述します。

 つぎにあるのが「出願審査請求書」です。日本の制度では出願しただけでは審査が行われず、この書面を提出し、審査料を支払ってはじめて審査がなされます。この出願では出願から2年3ヶ月ほど経った後に審査請求がなされています。審査請求はいつでもできるわけではなく、現在は出願から3年までです。この特許の時代は出願から7年と長かったのですが、3年より早く請求がなされています。これは早く権利が欲しいという出願人の意志でしょう。請求期間が出願から3年以内に変更されたのは2001年10月からです。

 請求期間内に審査請求をしないと出願は取り下げたものとみなされ、それでお終いになります。日本の場合、このようなケースが結構多いようです。出願時には出願を遅らせないために取りあえず出願しておき、審査請求期間に本当に権利を取りに行く意味があるかを検討するということかと思います。また自ら手続きをとって出願を取り下げることもできます。公開したくないような内容が記されているのに気付いた場合などは1年6ヶ月にならないうちに手続きすれば、公開もされず出願はなかったのと同じになります。

 なお、すべての出願は出願公開がされます(例外はありますが省略します)。これは出願から1年6ヶ月経過後に公開公報の発行という形で行われます。公開公報自体は前項のように公報照会画面から開けます。前にも記したように本件の公開公報は1993年7月23日に発行されており、出願から1年6ヶ月時点より1月程遅れています。

 昭和45年(1970年)以前は公開制度がなく、審査が終わり、特許にしてもよいと特許庁が判断したものだけ一般に公開していました。これを公告制度といい、公告公報が発行されていました(特公昭とか特公平というのがこれです)。この公告公報が発行されるまでには通常出願から数年かかっていたため、一般の人がその発明内容を知るのは発明がなされてから数年後になります。となるとすでに他人が発明し出願していることを知らずに同じ技術の研究開発をしてしまう場合があり得ます。早い時期にこれを知ることができれば、無駄に同じことを繰り返すことなく次のステップの研究開発に進むことができ、技術の進歩を早める効果があります。そこで昭和46年(1971年)以降出願公開制度が設けられ、公開公報が発行されて審査が進むまえに他人の発明を知ることができるようになりました。公告制度は平成8年まで続いていますので、公開公報と公告公報が併存した期間は25年ほどあります。

 それなら1年6ヶ月も待つことなく、もっと早く公開した方がよいのではないかとも考えられます。1年6ヶ月後に公開とした理由の一つは特許庁の事務手続きの時間が必要なことが上げられます。出願を受け付けると、まず最低限の出願の体裁をなしているかをチェックします。これを方式審査と言います。さらに発明の技術分野を分類する作業をしなければなりません。これは一通り書かれている発明の内容を把握する必要があるので時間がかかります。その後、公報の印刷のための作業があります。ただし出願人がとくに希望すれば、1年6ヶ月を待たずに出願公開をすることができる早期公開という制度もあります。出願から半年程度で公開できますが、さしたるメリットがなく、あまり使われていないのではないでしょうか。

 もう一つこちらの方が重要と思いますが、外国で発明を自国に出願し、同じ内容を日本にも出願する場合、自国への出願から1年以内の出願すれば、日本へも同時に出願したとみなされる「優先権」という制度が国際条約で定められています(11項でもう一度説明します)。遠い外国へも同時に出願しなければならないとすると、今でこそ電子メールで瞬時に遅れますが、かつては郵送など出願には時間がかかりました。また出願する国が定める言語に翻訳しなければ審査をしてもらえませんから、これにも時間がかかり、手続き上同時に出願することは難しい場合が多いと言えます。

 このような外国からの出願の場合、出願公開は日本への出願時から1年6ヶ月ではなく、自国での最初の出願日(優先日と言います)から1年6ヶ月でなされます。この場合、日本への出願が自国への最初の出願から1年以内に行われれば、その時点から公開まで約6ヶ月ありますので、日本での公開が何とか可能になると考えられます。

 公開を出願から1年とかにしてしまうと、外国からの出願だけ公開が遅れることになり平等でなくなる恐れがあります。公開制度はほとんどの国にあり、公開の時期もほぼどの国でも出願から1年6ヶ月後で共通なのはこのような事情によると思われます。

 審査請求がされると特許庁で審査が行われます。審査の結果はとくに問題なく特許としてよいと判断された場合は「特許査定」が出ます。その他の場合は何かの理由で拒絶されることになりますが、その場合はいきなり「拒絶査定」されることはなく、「拒絶理由通知書」という文書が出願人宛に発行され、いやそれは違うという反論の機会が与えられます。この特許の場合、1995年11月15日に送付されています。これは審査請求から約1年9ヶ月後で、当時としては必ずしも遅くはありません。

 拒絶理由通知書は内容を見ることができるので、少し読んでみましょう。最初のところに「・・・の理由で特許することができない」と書かれています。特許庁の審査官が拒絶できる理由は法律に規定されていて(特許法29条)、勝手な理由を付けて拒絶することはできません。主な理由を挙げておきます。

1.まったく同じ技術がすでに知られている→「新規性がない」と言います。  審査対象の請求項に記載されている発明と同じ発明が出願日より前に知られていた文献に書かれている場合などです。同じといっても一言一句同じである必要はありませんが、すべての要件が一致していると判断される場合です。

2.すでに知られている技術と同一ではないが、それから容易に考えられる→「進歩性がない」と言います。  「容易に」と言えるか言えないかは少しあいまいな感じがしますが、特許庁には「審査基準」というものがあって、できるだけ判断に幅が出ないようにされています。例えば、原材料の一部を変えて同じ物品を作った場合などで、できた物品の特性が大きく変わらない場合は容易に考えられると判断できます。しかし特性が顕著に改善した場合は発明と認められる場合もあり得ます。

3.請求項の記載が不明瞭である。  請求項に書かれた発明に矛盾があったり、意味が不明である場合、明細書に説明が書かれていない場合、等々。

4.新規事項の追加  これは補正を行った場合についてですが、請求項だけでなく明細書全体についても出願時になかった内容を加えた場合です。これを許してしまうといわゆる後知恵でいくらでも変更ができてしまいます。

5.大前提として「産業上利用できる発明」であることが必要です。この例として挙げられるのが人間を手術したり治療したりする方法です。その他としては事業にはなりえないような個人的なことなどが挙げられますが、時代とともに変化することも考えられます。  この他に上記の理由には当たらない場合でも特許として認められない発明があります(特許法32条)。これは公序良俗または公衆衛生に反する発明です。公序良俗に反するとは法に触れるような発明という意味ですが、武器などはこれには該当しませんし、物品でこれに当たる場合は少ないのではないでしょうか。よくこれに該当するのは商標登録された商品名を注書きなしで使用した場合です。これは拒絶理由になるというよりは注書きを加えるよう促され、従えばそれで済むようです。しかし公文書で商標登録されていないかのような情報が広まってしまうと無断使用がされるようになるので、登録商標をもつ人にとっては重要です。

 上記、拒絶理由通知書は2番目の理由を拒絶の理由にし、その根拠として特許文献A~Eを上げています。そしてA~CはGaNを熱処理してキャリア濃度を増加させる技術が記載されている文献とされています。D,Eは「熱処理」と「アニール」は同義であることを示すために上げられた文献と思われます。

 これに対し、出願人は「意見書」と「手続補正書」を提出して反論しています。意見書では文献A~Cはどれもp型GaNの作製を行う方法ではないという主旨の反論をしていて、もっともな見解と思われます。

 また手続補正書では請求項1を補正し、下記のように「形成した」を「成長させた」に変更しています。明細書中に「成長させた」と記されている箇所があるので、これは新規事項の追加にはなりません。あまり大きな意味をもつ補正ではなく意見書の反論だけで十分と思いますが、それだと一歩も譲らず突っぱねた感が強くなるので、配慮したのかなという気もします。

<公開時>【請求項1】 気相成長法により、p型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体を形成した後、400℃以上の温度でアニーリングを行うことを特徴とするp型窒化ガリウム系化合物半導体の製造方法。

<特許登録時>【請求項1】 気相成長法により、p型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体を成長させた後、400℃以上の温度でアニーリングを行うことを特徴とするp型窒化ガリウム系化合物半導体の製造方法。

 これで1996年5月17日に特許査定となっています。このような出願人と審査官のやりとりは1回とは限らず何度か行われることもあります。上記のような明確な反論ができないと最終的には拒絶査定になってしまいます。しかしそれで終わりではなく、不服があればさらに審判を請求することができます。これについては10項で説明します。

 少し余談になりますが、前述の拒絶理由通知には請求項1の拒絶理由が記されていますが、請求項2~4については「拒絶の理由を発見しない」とされています。この特許の場合は反論と請求項1の補正という対処で拒絶理由を回避できましたが、請求項1の拒絶理由が強力で回避が難しいと判断した場合は、請求項1を削除して請求項1と2(1と3または4でもよい)を合体した新たな独立項を作って対処することもあり得ます。この場合は権利の範囲は最初より狭くなりますので、本件の場合は妥当とは言えません。

 この特許の製造方法としての特徴はドーピングした半導体を高温熱処理することだけなので、それだけ見ればよく知られた方法だと言えるでしょう。しかしp型GaNを作る方法はこれまでなかったので、その点では大きな発明であったと言えます。このような場合、特許の権利範囲の定め方、つまり請求項の書き方はなかなか難しいと思われます。このため、この特許はさらに長い経過を経ることになります。