産業/標準化

17.標準化と特許

 比較的最近制定されたり改訂されたJISには最初に「まえがき」が記されています。はじめに制定や改訂の経緯などが記され、最後には例えば次のような文言が付け加えられています。

 「この規格の一部が、特許権、出願公開後の特許出願又は実用新案権に抵触する可能性があることに注意を喚起する。経済産業大臣及び日本産業標準調査会は、このような特許権、出願公開後の特許出願又は実用新案権に関わる確認について、責任はもたない。」

 これはどういう意味かというと、JISとして制定された技術について有効な特許権などが有るかどうかは確認していない、あるかもしれないので注意せよ、ということで、さらに言えば、もし問題が生じても責任はもてないので、自己責任で処理せよ、という意味に受け取れます。

 標準化された製品や技術について、それに関する有効な特許権をだれも保持していないと保証されているわけではありません。特許になっている技術を使った製品を無断で作り、販売すると、特許権侵害になってしまいますが、標準化された技術だからといって、これを逃れることはできないわけです。これは不合理なように感じられないでしょうか。

 製品や技術が標準化されるのは、世の中でよく知られ実績を積んだことが確認できた後と言ってよいと思います。一方で新しい製品や技術が発明され、特許が出願される時点では、その製品や技術は一般にはほとんど知られていません。そこから例えば10年くらいをかけて実用化の努力が行われ、それが良い製品であれば世の中に定着し認知度も上がってきます。そうなるまでにさらに10年を要したとすると、発明から合わせて20年くらいが経っていることになり、特許権がそろそろ失効する時期になります。この時点で世間への認知度などを背景に標準化が行われれば、特許権の問題はそれほど起きないはずです。かつてはこんな感じで標準化と特許の問題はあまり問題になりませんでした。

 ところが最近では、とくに情報分野などで新しい技術が生まれると短期間でそれを使った製品が開発され世に出てきます。そこから従来のように10年、20年という期間をかけてどの技術が普及するか見分けようとしているうちにさらにつぎの新技術が登場するということも起こります。

 生産者にとっても利用者にとっても早く技術が標準化された方が利点が大きいと言えます。このため、有効な特許権があるのを承知で標準化が進められます。この場合、標準になった技術を使って製品を製造販売すると特許権侵害になってしまうことが起こるようになってしまいました。

 この問題を回避するにはどうしたらいいかというと、標準化されているかどうかとは関係なく、他人が所持している特許権を使いたい場合は、その特許権をもっている人(特許権者)と交渉し、その技術を使うことを許してもらう(実施権を許諾してもらう)しかありません。許してもらう形はいくつかありますが、それは「特許の話」のページを参照して下さい。

 特許権をもつ人が無償で使っていいという場合もないわけではありません。権利を独占するより、世の中に広くその技術が普及する方が有利と考えられる場合もあるからです。反対に金銭の如何によらず他人による使用は認めないという場合もあり得ます。しかし普通は特許使用料(ライセンス料)を支払うことによって使用を認めてもらうことができますが、金額の大小はあります。生産者にとってはこの特許使用料が製造コストに上乗せになってしまいますから、その分を販売価格に上乗せするか、利益を減らすということになります。それなら生産を止めようかとなってしまうと、標準化の本来の意義が損なわれることにもなり兼ねません。これが上記のように何か不合理なように感じられる点です。がしかしこれを根本的に解決することはできず、交渉によって折り合いを付けていくしかありません。

 さらに近年新たに開発される技術は複雑で特許権は一つではなく、多数が関係するのが普通です。特許権を持たずに、その特許技術を使って製品を製造する場合は勿論、一部特許権を所有していても他に必要な特許がある場合には、必要な特許すべてについて実施権を得るための交渉が必要です。一方で標準化された技術ともなると、製造を行おうとする企業も1社でなく多数になる場合が普通です。複数企業が複数の特許権についてそれぞれ交渉を行うとなると大変煩雑になってしまいます。

 このような問題を軽減するために考えられたのがパテントプールという仕組み(1)です。この仕組みの概要を図17-1に示します。この仕組みでは、まず特許を管理する組織が作られます(ここでは仮にこれを特許管理組織と呼びます)。

 つぎに対象製品についての必須の特許を特定することが必要です。これも技術が複雑な場合には簡単ではありません。一般に複数の特許権(a,b・・・)が存在し、それを持つ複数の特許権者(A、B・・・)がいます。特許管理組織は特許権者と契約を結び、サブライセンス権付きライセンス(実施権)を得ます。サブライセンス権というのは言わば借りた権利を又貸しできる権利のことです。すべての特許権者から実施権が得られれば、必須特許をひとまとまりの権利とすることができ、この一つにまとめることが「パテントプール」という呼び名の由来です。特許管理組織は自ら製品を製造したりすることは普通ありませんが、すべての必須特許の実施権を一括して持ち、希望する企業にそのライセンスを一括して許諾することができるようになります。

 標準化された製品の製造、販売を希望する企業は、特許管理組織と交渉を行い、実施権を与えてもらうための対価(実施料、ライセンス料)を決めて契約を結びます。実施料は製品の販売数に従って支払う場合が多いと思います。特許管理組織は実施権者から実施料を受け取り、これを元の特許権者に対して契約に従って分配します。自らも手数料を受け取ります。

 特許管理組織は実施権をもたないで交渉の代理だけを行う場合もあります。この場合、パテントプールの実態はなく、特許権は特許権者のもとにあって、特許管理組織へ実施権は与えられませんが、特許管理組織は交渉を代理で行えるようにします。実施を希望する企業は直接特許権者と交渉する必要はありませんが、実施権は特許権者から直接もらい、実施料は直接特許権者に支払います。

 いずれにしても特許管理組織は必須特許をひとまとまりにする役割を果たし、かつこの必須特許群を実施したい企業と実施権の交渉を行います。複数の特許権者と複数の企業との間の煩雑な実施権交渉が避けられる点がこのパテントプール方式の利点です。

 一方で問題点がないわけではありません。複数の企業が交渉によって共通の実施料を支払うことになるので、製品価格の協定などにつながりやすく、独占禁止法に触れやすいという問題があります。また、このパテントプールの特許管理組織との交渉に応じない特許権者が現れる可能性があります。その特許権者は特許の実施料をつり上げることができるので、これをみて特許管理組織から脱退する特許権者が次々に出ると、組織の崩壊につながりかねません。

 このように技術の進歩が早くなり、かつ技術が複雑になるにしたがって、標準化は難しい問題を抱えることになります。

 一つだけパテントプールの例を挙げます。動画圧縮の標準としてMPEG2とかMPEG4とかはよく知られています。これはISO/IECの規格で、MPEG(Moving Picture Experts Group)の名称自体がISOのワーキンググループの名前になっています。規格番号で言うと、MPEG2はISO/IEC 13818-1~9、MPEG4はISO/IEC 14496-1~30で現在も規格の拡張が続いています。JISにも翻訳規格があります。MPEG2はJIS X 4325~4331、MPEG4はJIS X 4332でISO/IECと同じ枝番が付いています。

 この動画圧縮に関する特許は多数あります。MPEG2についてはすでにほとんどが失効していますが、MPEG4については5000件もの特許が存在するとされています(Wikipedia英語版)。また当然ながらこれを使用する企業は世界中に非常に多く存在します。

 このため、MPEG2について特許管理会社MPEG LA(Licensing Association)がアメリカに設立され、1997年から活動を始めました。その後、MPEG4についても引き続き取り扱い、その他複数の規格についても取り扱っています。

(1)「パテントプール」、特許庁研修資料、2009