産業/特許
14.職務発明<法律><技術>
職務発明という言葉は、中村修二氏が日亜化学工業社を相手取って訴訟を起こしたことで随分よく知られるようになったと思いますが、今一度これはどういう問題なのか、調べてみることにします。
中村氏の場合に沿って説明してみます。中村氏は日亜化学工業社の社員として青色発光ダイオードの研究開発に携わり、特許2628404号など一連の発明を行い、これによって同社の青色発光ダイオード事業に大きな利益をもたらす貢献をしました。ただし、上記特許をみれば明らかなように特許権者は日亜化学工業社であり、中村氏は発明者であるだけで特許権者ではありません。
これは普通、技術系社員として会社に就職すると、会社の仕事として発明をなしたときは、特許を受ける権利を会社に譲渡する旨の契約をさせられるからです。この契約を拒否すると多分入社はできないでしょう。
このように会社の社員が自分の職務として会社の業務の範囲内で行う発明が職務発明です。これは会社員であっても自分の職務とは関係の無い、例えば個人的な趣味についての発明なら職務発明に該当しません。これを自由発明と言います。
このような職務発明なら発明者は権利を会社に譲渡した「相当の対価」を受け取ることができると特許法35条は規定しています。それではこの「相当の対価」はいくらなのか、どう算出するのかが問題になり、発明者が会社に対して不満をもち、話し合いで決着しないと訴訟になるわけです。中村氏の場合もまさにこれです。
中村氏の訴訟は大きな話題になり、その後もいろいろな議論がなされました。おおまかな流れを説明します。
まず中村氏が対象となる発明として提示した特許2628404号を見ます。これはここでこれまで着目してきた特許2540791号とは違う特許です。この特許が選ばれたのはおそらく中村氏が単独で発明者になっているからと思われます。2540791号はp型GaNの製造方法の発明で重要と思われますが、こちらは岩佐氏との共同発明であり、中村氏単独で訴えた本訴訟の対象とする発明には適さないとみなされたのではないかと思われます。
この特許は発明の名称が「半導体結晶膜の成長方法」で、請求項はつぎの一つだけです。
【請求項1】加熱された基板の表面に、基板に対して平行ないし傾斜する方向と、基板に対して実質的に垂直な方向からガスを供給して、加熱された基板の表面に半導体結晶膜を成長させる方法において、 基板の表面に平行ないし傾斜する方向には反応ガスを供給し、基板の表面に対して実質的に垂直な方向には、反応ガスを含まない不活性ガスの押圧ガスを供給し、不活性ガスである押圧ガスが、基板の表面に平行ないし傾斜する方向に供給される反応ガスを基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させて、半導体結晶膜を成長させることを特徴とする半導体結晶膜の成長方法。
この請求項では半導体結晶膜を広く対象として具体的材料に限定はしていませんが、実際にはGaNなどⅢ族窒化物半導体の有機金属気相成長(MOCVD)法を対象とした結晶膜成長法を対象としています。この技術については5項、6項でやや詳しく説明していますが、この発明の課題は広い面積に良質な結晶膜を安定して成長させることにあります。
そして発明のポイントは5項の図5-1のように反応管内に反応ガスを供給するに際し、反応ガスを基板表面に押しつけるようにすることです。このために図14-1のように反応ガスを基板に平行な方向に流し、押圧ガスと称する不活性ガスを基板に垂直方向に流して反応ガスが基板上方に拡散しないようにするというものです。具体的には図14-2のように反応容器6内のサセプタ4上に置いた基板1に対して反応ガスを横方向から反応ガス噴射管2を通して基板に平行に供給し、押圧ガスを基板上方の副噴射管3から供給する成長装置を用いています。
実施例としては1.サファイア基板上へのGaN結晶の成長、2.AlN低温バッファ層上へのGaN結晶の成長、3.In0.06Ga0.94N結晶の成長が記載されています。 Ga、Al、Inの有機金属原料はそれぞれTMG、TMA,TMIです。N原料はアンモニアでこの両方を反応ガス噴射管から供給し、押圧ガスは水素と窒素の混合ガスを副噴射管から供給しています。
まずこの発明が職務発明か否かが争われました。中村氏は当時、この研究を中止するよう会社から命じられたといい、したがってこれは職務発明ではないと主張しました。しかし東京地裁は会社の意向に反した研究であっても会社設備を利用して行われた発明であるから、職務発明であると認定しました。
つぎに対価ですが、東京地裁の算定はこれまでの青色発光ダイオードの特許が満了になるまでの総売上げの予想額に特許があるために他者の販売を抑えたことによる売上高の増加分:50%、発明者の貢献度、50%をかけた金額を算出し、約600億円という驚くべき高額を認定しました。原告の要求は200億円でしたので、満額の支払いが認められました。
これに対して被告は東京高裁に控訴しました。東京高裁は対価の再評価を行いました。売上高は1994年から2002年までに限定しました。これ以降は競合企業とクロスライセンスが結ばれたので、特許による売り上げ増はないと考えられたことによります。さらに売上高のうち50%が特許権によって生じたものとし、さらに実施料率を1996年までを10%、それ以降を7%としました。さらに発明者の貢献度を一審より大幅に減じて5%としました。この結果、対価の額は約3億5千万円としました。また2003年以降は特許の残存年数などから2億5千万円と算定し、合計約6億円が相当な対価と認定されました。一審に比べて1/100に減額になったわけです。高裁はまずはこれをもって和解するよう勧告しました。中村氏は最高裁まで争うことを希望したとされますが、結局和解に応じる結果となりました。
これをみると相当な対価の算定は考え方によって大きく変わることがわかります。特許があることによってどれだけ売り上げが増えたか、発明者の貢献はどの程度だったかは客観的評価が難しいと思われ、だからこそ争いになりやすいといえます。
なお、中村氏は対象特許の技術を用いなければ、GaN等の良質な結晶は成長できないと主張しましたが、被告の日亜化学社は、対象特許の技術はすでに使用していないと主張しました。さらにこの特許権を満了前に放棄しています。
一般によく議論されるのは、発明は属人的なもので、その人がいてこそ事業が立ち上がるのだとする考え方と、事業を立ち上げるには多くの人の貢献があってこそで、発明者一人でできるものではないとする考え方のどちらに与するか、ということのように思われます。
もう少し別の言い方をすれば、特許制度の目的は発明を保護することによって発明を促し、これによって産業を発展させようというものです。発明は個人の意欲によってなされるものですが、企業の本来の目的は利潤の追求でこれは必ずしも産業の発展と同義ではありません。
相当の対価を増やすことで個人の発明意欲は増進されるでしょう。一方で企業は利潤の増大に繋がることを認識することによって初めて技術開発を推進するように行動するでしょう。したがって企業の利潤増を大きく損ねるほど高額の発明の対価を設定することは産業の発展には資さないことになり、そのバランスが重要ということになります。このバランスをとるため、企業内で予め規約を設けることが薦められているようです。しかしこのバランスを企業内でとることは力関係があって難しいように思われます。しかし、いちいち司法の判断を仰ぐのも効率的ではありません。バランスを考慮した対価の算定を行うことのできる第三者機関を設立してはどうでしょうか。